泰山府君社跡
写真中央 大石の上を礎石として社が建っていたそうです。
以下、昭和46年発行名田庄村誌からの抜粋です。
安倍家の住居跡については若狭郡県志には「土御門家宅跡、在下中郡納田終村、伝言、安倍有春至其子有脩孫久脩三世伝領斯処、而構宅時々来遊焉、有春与新保村之城主栗谷右京亮元隆結交、其宅畦建小祠、祭泰山府君、且納暦書于祠中、其祠の傍栽桜樹、今所有之者是也、有春、晴明十六世之裔、而為天文博士土御門為称号」と記している。土御門家宅跡の位置は、白矢集落の右手山麓にある。
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この屋敷跡の右手奥はさらに一段高く石垣で区切られており、そこに泰山府君社が建てられていた。現在この石垣の前に大岩があり、その上に地の神が祀られ、五穀をつかさどるといわれる稲荷社がそらにその奥に祀られている。さらに右奥隅に大石を根っこが包んでいる樫の大木がある。その下は滝の姿にまねて石が高く積まれており、以前には樋で水を引き、人工滝として不動尊が祀られていたとのことである。
泰山府君社は明治41年までここにあり、加茂神社に合祀されることになった。
土御門斎場(安倍家屋敷跡)
土御門神道本庁の天壇等の陰陽道祭祀の斎場があります。毎年八朔祭(必ずしも8月1日とは限らない)が、この斎場で執り行われています。