安倍(土御門)家墓所

安倍家墓所

 家名・土御門を実際に名乗ったのは、有宣卿からだといわれています。墓標には本姓の安倍が記されています。
 以下、昭和46年発行の名田庄村誌からの抜粋です。

納田終白矢、堂の谷の谷口に今から約四、五百年前に創建されたという立派な薬師堂がある。その薬師堂から約百メートルぐらいの谷奥の地点の山麓に安倍家の墓所がある。
 自然石をもって造られた墓標で、両側に五輪の小さな塔が配され、石垣で囲まれた立派な墓所である。墓標石には次の三氏の名と死去の年月日が刻まれている。

  • 永正十一年二月十三日薨
    従二位 安倍有宣卿
  • 永禄十二年六月十九日薨
    従二位 安倍有春卿
  • 天正五年正月一日薨
    従三位 安倍有脩卿

この墓地は史跡として昭和三十二年福井県の指定をうけている。

墓標
  • 永正十一年(1514)二月十三日薨
    従二位 安倍有宣ありのぶ
  • 永禄十二年(1569)六月十九日薨
    従二位 安倍有春ありはる
  • 天正五年(1577)正月一日薨
    従三位 安倍有脩ありなが

 安倍家墓所は、1500年後半には建立されていたものと思われます。
 記録によれば、寛永二年(1625)七月に安倍(土御門)泰重卿が納田終逗留のおりに、村人達に改修を行わせています。また、安倍晴明八百五十年忌の関連事業として、嘉永六年(1853)にも改修を行っています。
 現在この史跡は、地元の有志になる土御門史跡保存会により年一度の整備を行っています。なお、平成28年、背後の山からの落石による被害防止のために、柵設置工事を行いました。