陰陽宗家安倍家

安倍晴明公(土御門家祖)

 安倍晴明は延喜21(921)年~寛弘2(1005)年の平安時代中期朝廷に仕えた陰陽家。大化の改新当時の左大臣、安倍内麻呂(倉橋麿)の子孫。特に村上・花山両帝の信任厚く説話も多くあり『今昔物語』『宇治拾遺物語』『大鏡』等に残されている。葛葉(白狐)の子供だとする「葛の葉の児別れ」伝説は芝居にもなり有名。従四位上、陰陽頭・参議・大膳太夫等を歴任。子孫の土御門(安倍)家は明治初年迄全国の陰陽師や三河・尾張まんざい能師等をも支配した。暦会館に展示されている晴明画像は嘉永4(1851)辛亥年季冬(12月)原在敬が模写し、一時期、京都嵯峨大覚寺の院坊に寺宝として保管されていたものの複製品です。

安倍(土御門)家略系図

系図  備考
孝元天皇第八代天皇
大彦命
おおひこのみこと
四道将軍太祖
武渟川別
たけぬなかわわけ
豊韓別命
とよからわけのみこと
(5代略)
阿倍大麻呂
あべのおおまろ
阿倍 鳥
あべのとり
阿倍内麻呂
あべのうちのまろ
(倉梯麻呂)
- 649左大臣初代・始祖
阿倍 御主人
あべのみうし
635 - 703従二位・右大臣
阿倍 広庭
あべのひろにわ
659 - 732従三位、中納言
阿倍 嶋麻呂
あべのしままろ
- 761正四位下、参議
勲十二等
阿倍 粳蟲
あべのぬかむし
従五位上図書頭
安倍道守-784※陰陽頭、従四位
安倍兄雄
あべのあにお
- 808正四位下・東山道観察使
(2代略)
安倍春材※陰陽助、従三位
安倍益材
あべのますき
※参議、密奏、従三位
安倍晴明
あべのせいめい
921 - 1005従四位下家祖(創業者)
安倍吉平
あべのよしひら
954 - 1026従四位上・陰陽助
安倍時親
あべのときちか
※陰陽頭、従四位上
安倍有行
あべのありゆき
天文・陰陽博士、
従四位下
安倍泰長
あべのやすなが
1110 - 1183従四位下・陰陽頭
安倍泰親
あべのやすちか
正四位下・陰陽頭兼大膳権大夫
安倍泰茂※陰陽頭、従三位
安倍泰忠※陰陽頭、正四位上
安倍泰盛※陰陽助、正四位下
安倍有弘※陰陽頭、従四位下
安倍長親※陰陽頭、参議
安倍泰世※陰陽頭、正三位
安倍泰吉※陰陽頭、従四位上
安倍有世
あべのありよ
1327 - 1405従二位・刑部卿
安倍有盛※陰陽頭、刑部卿、
従二位
安倍有季※陰陽頭、従二位
土御門有宣1433 - 1514※陰陽頭、従二位納田終に墓所
土御門有春
つちみかど ありはる
1501 - 1569従三位・陰陽頭、非参議納田終に墓所
土御門有脩
つちみかど ありなが
1527 - 1577従三位・非参議、陰陽頭、刑部卿納田終に墓所
土御門久脩
つちみかど ひさなが
1560 - 1625従三位・非参議、陰陽頭、左衛門佐京都帰還
土御門泰重
つちみかどやすしげ
1586 - 1661従二位納田終に逗留
土御門泰広※陰陽頭、従四位
土御門泰福
つちみかどやすとみ
1655 - 1717従二位土御門神道設立
土御門泰誠
つちみかどやすまさ
1677 - 1692従五位上・弾正少弼
土御門泰連1685 - 1752陰陽頭、非参議
従二位
土御門泰邦
つちみかどやすくに
1711 - 1784正二位・治部卿宝暦暦を編纂
土御門泰兄1728 - 1754陰陽頭、従四位下
土御門泰信※大膳太夫
返上位記
土御門泰栄1758 - 1807陰陽頭
正二位・非参議
土御門晴親
つちみかどはれちか
1788 - 1842正二位・陰陽頭
土御門晴雄
つちみかどはるお
1827 - 1869従三位・民部卿太陰太陽暦の改暦を新政府に要望
土御門晴栄
つちみかどはれなが
1859 - 1915贈正三位 子爵
貴族院議員(三期)
陰陽寮廃止
太陽暦改暦

※家伝より